Day 146: ごちゃごちゃ人間模様をページ内検索で解決
2017.3.7 146日めです。
サムエル記は下巻へ。
えーとサウルが死んで、(自らやりの上に覆いかぶさるというかっこいいやつ)
でも、それだけでは戦争は終わらず、残された者たちの雪辱戦へ。
故サウル軍
リーダー:ネルの子アブネル、
サウルの子イシボセテ
(二年間王となるが民衆がダビデに従い失敗。親から受け継いだのだから王位は順当といえば順当。)
ダビデ軍
ゼルヤ三兄弟:ヨアブ、アビシャイ、アサヘル
それぞれの思惑が入り乱れ、戦国活劇の様相です。
こういうので困るのが「名前が覚えられない」というなんとも情けない性質。
いや、私の脳みそがポンコツなだけなのですが、三国志とかも登場人物が多すぎてまったくついていけないんですよね。
そんな私の聖書の読み方はこれです。
聖書内で名前を検索。
ページ内検索窓を control +F で呼び出し。
あ・ぶ・ね・る と打ち込んで。ターン!
サムエル記下2章には17箇所「アブネル」と書いてあるんですね。
これをやると、パソコン側で自動的に「アブネル」に色をつけて表示してくれます。
なるほどアブネルはダビデの敵、故サウル側の人間。ということを確認しながら読み進められます。
この後半、アブネルとおいかけっこしてるアサヘルってだれだっけ?
こういうときも検索。タターン!
ゼルヤの子。なるほど。そういえばゼルヤの子っていうのはダビデ側の人たちだったな。
なるほど。これはダビデ軍vs故サウル軍の両精鋭が接触して緊迫した場面なんだなー。とやっと理解できるわけです。お粗末な脳みそですね。
クリスチャンホームの人はきっと、子供の頃から「桃太郎」「かぐやひめ」「ダビデ王」「一寸法師」「アブラハム」の勢いでそれぞれの名前とエピソードを物語として口伝され、素養ができてるんだと思うのですが、私はそういうのさっぱりなので、いちいちこうやって名前で検索して、その人物の履歴を確認しながらよんでいます。
Day144:サウルの死
2017.3.6 144日めです。
どうやら、450章読んだようです。もうすぐ500章。頑張ります。
進捗を表にしておくと、細かく達成感を感じられるのでよいですね。
今日はサムエル記30章までと歴代誌上10章。詩篇。
サムエル記上という名称なのに、すでにサムエルがお亡くなりになってしまいました。
サムエル記は下巻もありますが、大丈夫なのでしょうか。
もはや「ダビデ記」と言っていい状態ですね。
このサムエル記と歴代誌上の時代がちょうどリンクしまして、どちらもサムエルの死について書かれています。
13こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死んだ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、 14主に問うことをしなかった。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた。
この辺が、以前私がごねごね言ってたあたりとリンクすると思うんです。
biblechallenge30.hatenadiary.jp
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占いがなぜいけないのか。
占いに問うことをして、主に問うことをしない。という行為だから。
そういうことですかね。
私は、占いは運命を見るもの→運命は神様が決めるもの=占いは神様に問うもの
だと感じるのですが。
いや違うか。その人に運命について教えるか教えないかは主が判断すること。
占いで何かしらの答を無理矢理引き出してはいけないということでしょうか。
主に問うことをしない行為は、主な死因とされるほど重大な禁忌なのでしょう。
Day142:歴代誌上1章を図にしてみた
2017.2.3 142日目です。
バタバタしていてここにご報告できない日が続いていましたが、
自力で聖書読みを継続しておりました!ジャジャーン!
もうここまでくれば通読待ったなしかしら。
いやいや。油断は禁物ですね。
マタイによる福音書10章に気になる記述が
16わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
「へびのように賢く」
イブをそそのかして知恵の実を食べさせた時から、蛇は嫌われ者だと思っていたのですが、
創世記3章
1さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
「狡猾」っていうのは、ずるがしこいってことですよね。
頭がいいということではありますね。
蛇を踏む=悪を打つ のような表現もあると思います。
ここはどういう意味で蛇の例えを使ったんでしょうね。
知恵によってサバイブしてほしいという感じでしょうか。
また、出来心で歴代誌上1章を家系図に起こしてみたのですが、
果てしなく大変だった。あー。
でも気付いたことがいくつか
・38節「セイル」は、1節〜37節に出てくる人物の誰ともつながっていない(言及されていない)
・43章以降の「エドムの地を治めた王たち」もそれ以前の家系図との繋がりが明示されていない
アダムとイブからキリストまでは1本線でつながってるんだと思ってました。
あーまじ大変だった。
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この細かさで頑張りを察してくれ!
間違えてるかもしれないけど、自分でやってみたのが偉くない?
Day138:BL疑惑
2017.2.27 138日目です。
9:2キシにはサウルという名の子があった。若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高かった。
16:12そこで人をやって彼(ダビデ)をつれてきた。彼(ダビデ)は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。
16:21ダビデはサウルのもとにきて、彼に仕えた。サウルはひじょうにこれを愛して、その武器を執る者とした。 16:22またサウルは人をつかわしてエッサイに言った、「ダビデをわたしに仕えさせてください。彼はわたしの心にかないました」。 16:23神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた。
アーハーン?
14:49さて、サウルのむすこたちはヨナタン、エスイ、およびマルキシュアである。ふたりの娘の名は次のとおりである。すなわち姉の名はメラブ、妹の名はミカルである。 14:50サウルの妻の名はアヒノアムといい、アヒマアズの娘である。また軍の長の名はアブネルといい、サウルのおじネルの子である。
18:1ダビデがサウルに語り終えた時、ヨナタンの心はダビデの心に結びつき、ヨナタンは自分の命のようにダビデを愛した。 18:2この日、サウルはダビデを召しかかえて、父の家に帰らせなかった。 18:3ヨナタンとダビデとは契約を結んだ。ヨナタンが自分の命のようにダビデを愛したからである。 18:4ヨナタンは自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えた。また、そのいくさ衣、およびつるぎも弓も帯も、そのようにした。
ホワッツ!!!
あ、アーハーン!!!
これは、一部の女性が好むというBL(ボーイズラブ)ではないか?
麗しい男子ダビデが、親子の権力者の両方から言い寄られている図ではないか?
ヨナタンお父さんのお稚児さんに横恋慕しちゃ駄目だぞ★
いや、ほんとうにそう読めるんですが、これは男色があったと解釈してよいのでしょうか。
そう思うと、ダビデ像の筋肉隆々な感じもあやしく見えてきた。
Day135 :雨に打たれる=洗礼?
2017.2.24 135日目です。
生真面目で繊細でみずみずしい青年の苦労話。キリスト教について考える必要が無くても読んで損のない面白い話でした。
本の本筋とは違うかもしれませんがいくつか発見があったのでここに残しておきます。
・北海道で教会を建てた後、「心に真空が生まれ」て、アメリカに旅立つ。
私は安部公房という作家が好きでかれこれ15年愛読しております。高校の教科書に載ってたんですね。
彼の作る寓話的な話がとっても好きで、今でもよく読み返します。
「S・カルマ氏の犯罪」という話は私のとても好きなものの一つ。岡本太郎が挿絵を提供したこともあります。(文庫は奥様の挿絵と記憶しています。)
目 を覚ますと、主人公は名前をなくし、そして胸のからっぽに悩まされます。
彼の胸は実際に真空になっていて・・・。という話なのですが、
その寓話的な状況を楽しむあまり、「胸に真空が起こる」という辛い虚しさについてこの本であまり考えたことがありませんでした。それで言えば、私の高校生活なんて胸の真空が私を本に駆り立てていたようなものだったのに。
・雨にまつわるエピソード
ある日本人が、キリスト教徒になろうと決心した時、彼の住む近くには教会も牧師さんも居なかったそうです。その時、雨が降ってきて、彼はそれを神様から洗礼されたと捉え、その日をもってキリスト教徒になったという話が紹介されていました。
そういえば、映画のクライマックスで雨が降ってくるシーンがあったような。。
今思い浮かぶのは「ショーシャンクの空に」
脱獄に成功して下水道から川に転げ落ち、夜雷の鳴る中雨に打たれ、主人公は両手を空に広げて自由の身を喜ぶ。
最初に見た時、嬉しいシーンなのに、「夜」「雷」「雨」とネガティブイメージが現れているのはなぜなんだろうと思ったのですが、
これは「パブテスマ」であり、新しい人生を踏み出したという意味の表現だったのですね?それであってるの?分かる人おしえて。
川の中で雨に打たれて罪(冤罪だけど)が洗い清められた。ということでいいのよ ね?
日本人の私からすると、脱獄に成功したシャバの景色は、今まさに登る朝日、朝焼けの空というのが妥当のような気がしてたのよね。
やっぱり「記号」って、その文化の中での「あたりまえ」だから一々説明されないんですよね。だから別の文化を理解しようとする時、こうやって「雨=洗礼」とか意識して獲得していかなければいけない。
読書は思いがけない点と点を線で結んでくれる素晴らしいしごと。
Day134 : How Uchimura Became a Christian
2017.2.23 134日目です。
歴代誌がスケジュールに入りました。
新しいところを読むのは楽しいですよね。
これからいったいどんな話がはじまるのか、わくわくして歴代誌の扉を開けました。
そうしたら、開けてびっくり!我が(みんなの?)鬼門 家系図記述方式。うわー。
私の読書スケジュールは、とある教会が公開していたものを使用しています。
ちゃんと歴代誌は一日1章、もしくは2章にとどめてくれています。
頭から順番に読んで、この家系図毎日4章ずつ読めって言われたら、挫折するわ―。
スケジュール考えてくれた人ありがとう!と思い、当時通読PDFをゲットしたHPに行ったら、もう通読PDFの公開を取りやめていました。残念。
昨日から
内村 鑑三著『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』 (光文社古典新訳文庫)
を読んでいます。
日本人がキリスト教を受け入れるのはどんなかんじなのか。
また、著名なキリスト教思想家の作品ということもあり手に取りました。
これ書いたの本人が30過ぎの時なんですね。
要するにアラサーですよ。私と一緒。劣等感。
大学時代に半ば無理やりクリスチャンになるのですが、その最初の感想が
「神さまが1人だから、1回お祈りするだけで済むので楽。」
これは本人ノイローゼ気味だったみたいなので、切実な気持ちだったでしょう。
同級生に新渡戸稲造がおり、同時に洗礼を受けて兄弟同然に仲良くしていたようです。
新渡戸は洗礼名パウロ。ものすごく理屈っぽい姿がもはやコミカル。
また、クリスチャンになったら飽食がいけないということで、最後の食べまくりパーティーをするのですが、主なおかずは学校の裏山で取ったタンポポ。
若い魂が、活動的に知識を求め、まじめに朗らかに過ごしている姿がまぶしくてオバサンもうだめ。とても面白い。
これが私のなかでどこに繋がっていくかというと
福永武彦 著『草の花』
62日目の日記のコメントで、登場人物が無教会主義者であるという話をした時に、
コメントで教えていだたいた人物が内村鑑三。
biblechallenge30.hatenadiary.jp
これからは、聖書の関連書籍も興味のあるところから手をつけて行こうと思います。
Day133: パウロかっこいい
2017.2.22 133日目です。
コリントの信徒への手紙二読了。
10:1さて、「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める。
10:10人は言う、「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」。
こーれーはー まーじーでー
カリスマのある人はこう言われるのしょうがないと思っちゃう。
私は、外国人ミュージシャンが熱狂的に好きで、
奇跡の来日公演を見に行ったのですが、
どさくさに紛れて彼に触った時、
「人だった。音楽の神さまだったら触れないはず。」
みたいな、もうとんでもない方向で激しくがっかりしました。
半ば本気で、輝ける魂がかりそめに人間の形してるんだとか思ってました。彼の事。
人間だったからマジがっかり。
自分の中の理想を、カリスマのある人に投影しちゃうんですよね。
本人からしたら迷惑な話ですよねえ。
こんな文章が残っているということは、やはりパウロはかなり影響力のある人だったのでしょう。
実際に喋りと文章のギャップのある人だったのかもしれない。
私もここで毎日ベラベラよく喋ってますけど、実際地味ですよ。いや。私とパウロ並べるのも申し訳ないけど。
11:22彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。彼らはイスラエル人なのか。わたしもそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。 11:23彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。 11:24ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、 11:25ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。 11:26幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、 11:27労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。 11:28なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。 11:29だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。 11:30もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。 11:31永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。
とても情熱的ですばらしい文章です。
私は信仰の事は分からないけれど、この文章には揺さぶられました。
パウロが仮に紀元5年生まれだとして、
伝道を始めたのが45年。
おっさんですよ。それがこんなに苦しい思いをしてなお、大規模な伝道をして
はー もう すごい。
私パウロ教に入っちゃいそう。