哀歌
もう計画が無いので自由に好きなところを読みます。
それはそれで、ワクワクしますね。
という気持ちで、「短いから読んでみよう」と哀歌に挑戦したら後悔。壮絶な内容でした。
本当に人々が飢えて荒廃している街を見ていないと、こういう文章は書けないでしょう。こんなに壮絶な景色を見ながら信仰を継続するというのは想像を絶します。
あと、
おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。
主はとこしえにこのような人を/捨てられないからである。(哀歌3章30-31節)
この部分と
マタイによる福音書/ 05章 39節
しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
ルカによる福音書/ 06章 29節
あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
このあたりって関係があるでしょうか。短絡的過ぎですかね。旧約聖書を読んでいると、キリストさんは旧約聖書を引用しているのかな?と思える部分があるように思います。
一緒に詩篇42。適当に選んだけどなんだか哀歌とリンクしているような感じがします。
詩篇/ 042篇 005節
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
魂がうなだれている。思いがみだれているというのをこのように迫真して吐露するというこの作者の才能に驚きました。エモーショナル。
通読表が無くなった
やってしまいました。
パソコンの調子が急に悪くなりお釈迦。初期化になりました。
それに伴い、ローカル保存していたすべてのデータが無くなってしまいました。
今まで使ってきた聖書通読表も……。
前の日記で載せた一覧と、聖書アプリの進捗を突き合わせて、どこまで読んだかはわかりました。
しかし、これからのプランが分かりません。
こうなったらともかく穴埋め式で読んでいくしか無い。あと残り15%なので、残念だけど味わいとか、共通性とかを無視して、読んでいないところを読み進めていきます。
ともかく、あと一章ずつしか残っていなかった列王記下、歴代志下を消化。
残りはこれだけ。
ともかく年内読み切り目標で、読み進めていきます。
大・復・活
ふふふ……。私が挫折したと思った人は残念だったな。地味に通読を続けているのだよん。じゃじゃーん。大復活!
ブログ書かなくなってから先月まで丸々休んでいましたが、今また復活して、どうにか今年中には通読できる見込みであります。
久しぶりにこれをチラッ。
黄色の部分が、ブログお休み中に進んだところです。残り203章!
なんで読むのが止まってしまったかというと、
1.お仕事の都合が変わった
2.列王記、歴代誌のコンボがつらかった
という感じです。
列王記、歴代誌は、いかに人が神に背いたかみたいな話が多かった気がするのですが、早足で年表を読んでいるみたいで、登場人物のドラマを私があまり汲み取れなかったのが敗因かと思います。
今はエゼキエル書とヨハネの黙示録を平行に読んでいます。摩訶不思議なお話しなのでちょっと読んでいて楽しいです。
そして、早々に来年の通読プランを検討してみました。
Five Day Bible Reading Schedule
今のところ、この2つで検討中です。決め手はもちろん列王記と歴代誌の扱い。このふたつは記述が重なっているし、ちょいちょいお互いに言及しているので、一緒に読まないと私の頭がパンクしちゃいます。
この2つは、Kings と CHRONICLEs を並行して読むプランになっているから私でも行けそう。
あと、来年は年2回通読を目指してみようか構想中です。1回目は今と同じ口語訳聖書。2回目は憧れの文語訳!または、同じ箇所を口語訳と文語訳並べて読んでみるのもいいかも。今、今年中に読み終わるために、一日6章のペースを一ヶ月保てているので、このペースでやれば半年の通読も可能なはず。
いつかは文語訳と欽定訳(英語)を並べて読んでみたい。夢ですけど。
残り17%といえどもまだ油断は出来ないので、計画倒れにならないように、あとちょっと頑張ります。
Day251: 神のパワー
2017.6.20 251日めです。
251日続けて読んでいるわけではないので、251日めと書くのも少し気が引けます。
ちょっとむずかしく考えすぎていて、読むペースが遅くなっていました。
最近読んでいる所は、神にしたがわない人々がひどいことになるぞ!といった感じで、沢山の人物が出てきて混乱しているのもあります。
しかし、読んでいて感じるのは神様のパワー。
これは、世界の中で一番純粋なTHE・パワーというものなのではないか。という気持ちになってきました。
ただ純粋に力。これは、人間の善悪なんてちっぽけなほどの力なのでしょう。
だからこそ、人にとって良い事が、神にとって良いとは限らない。
純粋な力であるが故に、それが発生した時に、素晴らしい恵みになることもあれば、
恐ろしい呪いになることさえあるのでしょう。
『キリスト教文学の世界』という22巻に渡る作品集を見つけました。
私の生まれる前のものですが、沢山の著作が編纂されていて面白そう。
お勉強関係の本に手を出して、一度挫折したので(笑)
私の得意な文芸の方面から攻めてみたいと思います。
いくつかですが、すでに読んだことのあるタイトルも見られ、
最初に読んだ時にはキリスト教と関係があることすら気づかなかったので、
改めて読み返すのが楽しみです。
DAY?? 生きてます。
お久しぶりです。
生活のリズムが変わって、そうなると習慣のリズムも変わって、
リズムを整えていたらこんなに時間が経ってしまいました。
聖書も毎日とは行かないのですが、ちょこっとだけ読み進みました。
またコンスタントにココで読書日記をつけていけたらと思っています。
Day208 イスラエル族2国に分裂
2017.5.8 208日めです。
ゴールデンウィークは、かなりサボっちゃいました。
普段と生活リズムが違うと、読むタイミングを忘れちゃいますね。
政権争いと政治と戦争の話になってきて、こういう読み物を読み慣れていないので人間模様が難しいです。最初、名前が似ているので「ヤラベアム」と「レハベアム」は兄弟と勘違いしていました。この感じで、名前を覚えるのがいかに下手かおわかりいただけるかと思います。はあ。
ただしくはこう?
ヤラベアム(北王国初代王):
ダビデ王の家来だった人。預言者アヒヤから、イスラエル12部族のうち10部族をしたがえる王様になると預言される。
ソロモンはその預言を知り、ヤラベアム殺害を計画する。そのためソロモンの没するまでエジプトへ逃亡する。
レハベアム(ユダ王国初代王):
ソロモン王の息子。父の死後、王位を継承する。重税にあえぐ国民が直訴しに来た際、長老のアドバイスを蹴ってさらなる課税を宣言。国民の大半がヤラベアム側に付きレハベアム支配から離れる。残ったベニヤミン族、ユダ族を治めることになる。
神様は、ユダ王国の方に居ます。
"このように、この時イスラエルの人々は打ち負かされ、ユダの人々は勝を得た。彼らがその先祖の神、主を頼んだからである。"
歴代志下 13:18
レハベアムは若さゆえ十分な政治が出来なかったようですが、その子どもアビヤは北王国との戦争に勝ち、土地も少し取り返します。
孫のアサも、国を10年の間穏やかに保ちます。アサは信心深く、神様も良しとされました。戦争も、神様のご加護があってとても強かった。
"アサと彼に従う民は彼らをゲラルまで追撃したので、エチオピヤびとは倒れて、生き残った者はひとりもなかった。主と主の軍勢の前に撃ち破られたからである。ユダの人々の得たぶんどり物は非常に多かった。 彼らはまた、ゲラルの周囲の町々をことごとく撃ち破った。主の恐れが彼らの上に臨んだからである。そして彼らはそのすべての町をかすめ奪った。その内に多くの物があったからである。 また家畜をもっている者の天幕を襲い、多くの羊とらくだを奪い取って、エルサレムに帰った。"
歴代志下 14:13-15
こうやって書かれてると盗賊みたいでぎょっとするけど、桃太郎みたいな感じだと思えばいいのかしら。
鬼退治をした後、桃太郎一行は鬼の宝を船に山盛持って帰ってくる。そして桃太郎とおじいさんおばあさんはその財産で幸せに暮らしたのよね。
この辺になると、預言者と権力者はそれぞれ別の人になって、対立している印象を受けます。この現象はおそらくサウル王、ダビデ王のあたりからだから、権力を兼ねた預言者はサムエルで最後なのかな。
サムエル以降の預言者は、いきなり現れて大きな歴史の変化を予言する、ちょっと恐い人みたいな感じをうけます。眠り姫の誕生日に、お姫様に呪いをかける魔女や、マクベスの冒頭で予言をする3人の魔女みたいですね。
Day202 雅歌はデュエット?
2017.5.2 202日目です。
雅歌読み終わりました。
最近短いタイトルが続いているので、達成感があって嬉しいです。
昨日は、セクシャルな感じはしないといいましたが、
後半5〜8章においては、明らかにベッドシーンがありましたね。
聖書にこういった内容のものが入っていたというのは新鮮な発見です。
私の読んでいるアプリは、一章の中で改行がないんですね。
これでこう、ツラツラーっと読んでいくと、なんか違和感があるんですよ。
いつの間にか、語っている人がくるくる変わるんですよね。これ、主語変わってますよね?
これは要するに、デュエットでもって、愛する男女の気持ちを交互に表現しているんですかね?
"わが妹、わが花嫁よ、わたしはわが園にはいって、わが没薬と香料とを集め、わが蜜蜂の巣と、蜜とを食べ、わがぶどう酒と乳とを飲む。友らよ、食らえ、飲め、愛する人々よ、大いに飲め。 わたしは眠っていたが、心はさめていた。聞きなさい、わが愛する者が戸をたたいている。「わが妹、わが愛する者、わがはと、わが全き者よ、あけてください。わたしの頭は露でぬれ、わたしの髪の毛は夜露でぬれている」と言う。"
青が男性の歌う部分、ピンクが女性の歌う部分。
そういう感じかしら?
聖書を読んでいると、特に旧約聖書は、読むものじゃなくて、語られるものなのではないかと思うときがあります。昔話のように語り口がありありと感じられるものがあります。
この雅歌も、落語みたいに長老や語り部から聞くもの。もしくは、演劇や詩の朗読のように演じられるもののように感じました。戯曲っていうんですか?オペラみたいな感じもしますよねー。
それくらい、文章表現が生き生きと、息に載せてやってくるような感じがしました。