Day61: 進捗 ローマ人は貴族?
2016.12.12 61日目です。
新約聖書は使徒行伝がクライマックスへ。
レビ記の最後の最後にこんなフレーズが。
レビ記 27:29, Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
またすべて人のうちから奉納物としてささげられた人は、あがなってはならない。彼は必ず殺されなければならない。
まじかよこわい。モレクとおなじで人もいけにえにされるのか。
でも、この一文があるから、イエスキリストの磔は聖書の文脈に沿っているのかもしれないと思いました。
今更なんですが、新約聖書にたびたび出てくる「律法」というのが、
並行して読んでいる旧約聖書のモーセ五書だというのに気付きました。
また国によっては今なお、モーセ五書は「法律」なんですね。
そしてまた気になったのは旧約聖書の成立年代。
まとまりのあるものが最初に成立したのは前5世紀から前4世紀頃で、ユダヤ民族がペルシアの支配下にあった時期です。ユダヤ教が民族宗教としてそれなりに本格的に成立したと言えるのは、「出エジプト」の出来事の時です。前13世紀のことです。この時から、聖書の最初の部分が生じるまで、8、900年の時間が流れています。
日本人が打製石器や縄文土器作ってたときに、もはや税金や公共の福祉と思えるような概念を、モーセ五書として成立させていたんですね。
キリストが生まれたときにお父さんお母さんが里帰りしたのも、この民数記の戸籍を調べる時期にあたったのかしら?
通貨の概念や、重さを測る方法も、歴もすでに出来ていた様子。今読むと当たり前のようだけど、世界的にみると当時とっても文明が発達していましたね。
新約聖書では、パウロ(目からうろこの人ですよね?)が生まれつきのローマ人であることがある種のブランドになっている様子。
ローマ人は特権階級だったのでしょうか。貴族様なのかな?