Day100: 考えすぎも考えもの
2017.1.20 100日目です。
といっても、スケジュール通りには全然進んでいないのですが。
先日、「ガラテヤの信徒への手紙」を読みました。
短いので一日でまとめて読んだのですが、
今まで読んでいた聖書は、事実のレポートだったのに対し、
「ガラテヤの信徒への手紙」は初めての小論文形式でした。
非常にパワフルで、信者でない私にも訴えてくるものがありましたが、
著者パウロの思想を理解しようとして、そこで止まってしまいました。
そのことが気にかかってなかなか他の部分を読み進めても集中できず、
なまけものなのも相まってスケジュールがどんどん押しています。
特に詳しく考えてみたいと思ったのは以下の部分。
21わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。
17わたしの言う意味は、こうである。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。
24キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
1つめは、義は律法によってのみ得られるものではないといいたいのかなと思います。
2つめ、430年というのは出エジプトと関係があると見ていますが。
3つめ、自分の「肉」と「聖霊」(たましい?)がまるで別個のもののように書かれているのもどういうことなのか気になります。
いつか調べてまとめてみたいと思います。