Day135 :雨に打たれる=洗礼?
2017.2.24 135日目です。
生真面目で繊細でみずみずしい青年の苦労話。キリスト教について考える必要が無くても読んで損のない面白い話でした。
本の本筋とは違うかもしれませんがいくつか発見があったのでここに残しておきます。
・北海道で教会を建てた後、「心に真空が生まれ」て、アメリカに旅立つ。
私は安部公房という作家が好きでかれこれ15年愛読しております。高校の教科書に載ってたんですね。
彼の作る寓話的な話がとっても好きで、今でもよく読み返します。
「S・カルマ氏の犯罪」という話は私のとても好きなものの一つ。岡本太郎が挿絵を提供したこともあります。(文庫は奥様の挿絵と記憶しています。)
目 を覚ますと、主人公は名前をなくし、そして胸のからっぽに悩まされます。
彼の胸は実際に真空になっていて・・・。という話なのですが、
その寓話的な状況を楽しむあまり、「胸に真空が起こる」という辛い虚しさについてこの本であまり考えたことがありませんでした。それで言えば、私の高校生活なんて胸の真空が私を本に駆り立てていたようなものだったのに。
・雨にまつわるエピソード
ある日本人が、キリスト教徒になろうと決心した時、彼の住む近くには教会も牧師さんも居なかったそうです。その時、雨が降ってきて、彼はそれを神様から洗礼されたと捉え、その日をもってキリスト教徒になったという話が紹介されていました。
そういえば、映画のクライマックスで雨が降ってくるシーンがあったような。。
今思い浮かぶのは「ショーシャンクの空に」
脱獄に成功して下水道から川に転げ落ち、夜雷の鳴る中雨に打たれ、主人公は両手を空に広げて自由の身を喜ぶ。
最初に見た時、嬉しいシーンなのに、「夜」「雷」「雨」とネガティブイメージが現れているのはなぜなんだろうと思ったのですが、
これは「パブテスマ」であり、新しい人生を踏み出したという意味の表現だったのですね?それであってるの?分かる人おしえて。
川の中で雨に打たれて罪(冤罪だけど)が洗い清められた。ということでいいのよ ね?
日本人の私からすると、脱獄に成功したシャバの景色は、今まさに登る朝日、朝焼けの空というのが妥当のような気がしてたのよね。
やっぱり「記号」って、その文化の中での「あたりまえ」だから一々説明されないんですよね。だから別の文化を理解しようとする時、こうやって「雨=洗礼」とか意識して獲得していかなければいけない。
読書は思いがけない点と点を線で結んでくれる素晴らしいしごと。