Day160 :ダン・ブラウン「天使と悪魔」と天地創造
2017.3.21 160日めです。
もう花粉症がひどくて。室内外を問わずマスク必携であります。
三連休は遊びに行ってしまってちょっとさぼってしまいました。
じわじわ巻き返してがんばろうと思います。
娯楽小説から得る問い
アマゾンにちょっとめずらしいサービスがあったのでお試ししています。
「オーディブル」という、本の朗読データが聞けるサービスです。落語なんかもあって気になります。皿洗いとか大嫌いなんですが、こういうのを聞きながらやれば時間が無駄になっている気がしないので皿洗いも頑張れそうです。
目玉として、「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズの音声データがサービスになっていたので、「ダ・ヴィンチ・コード」の一つ前の話「天使と悪魔」を聞き始めています。上中下の3巻構成なので道のりはながそうですが。
無から天地創造がされた?
初めの方に、聖書では「無から世界が創造された」と書かれているが、科学はそれと真っ向から対立しているという話が出てきます。ID論ってやつでしょうか。
私はそれを聞いて違和感がありました。というのも、私の中では、聖書での天地創造というのは、「全ての要素がある状態から」天と地が「分けられた」という意味だと思っていたのです。
なんでかわからないけど、私は、全ての要素、水素とか酸素とかそういった要素だけで実態の伴っていないモヤモヤーとしたものを神様があれとコレに分けていったと言葉で説明するとそういう感じが近いかな?そういうイメージがありました。
濃縮された雲みたいな?
コレを上と下にわけて、上の中でも右と左に分けて、そういう感じかな~と思っていたのです。
光の三原色のような天地創造観
光って、光の三原色赤、緑、青が合わさると白になりますよね。
白がまずあって、神様はそれを赤とか青とかに分けて、さらに紫、ピンク、水色…そういうふうに分けていった。そう感じていました。
イメージの中ではもっと雲みたいな。万物が「気化」して灰色の雲になった感じです。そのすべてのエキスがフラフラしているのを神様が秩序付けた。というかんじかな?
ギリシャ神話の世界の始まり
当然そういうものだと思いこんでいたのですが、なんでそう思い込んでいたのか改めて考えてみると、これは多分ギリシャ神話が頭の隅にあったようです。
ギリシャ神話の世界の始まりは「混沌」。そこから大地の女神、闇の神様が出てきて次々と色々なものを司る神様が生まれてきます。
私は多分こっちを先に知っていたので、このイメージに引きずられていたのでしょう。
ここから古代ギリシャ哲学について小一時間調べ物をしていたのですが、ステキなワンダーが広がっていて私の頭ではちょっとすぐに理解しきれない。
多分古代ギリシャ哲学の「万物の根源は何か」という問いと、ギリシャ神話、聖書の天地創造は少なからず関係があるのだろうと考えています。
この考え、キリスト教的には変ですか?正当ではないのでしょうか。