Day173 空が青いのはなんでだ
2017.4.3 173日めです。
新年度ですね。今年度もよろしくお願いいたします。
最近何度か、イエス・キリストの「人であり神である」という事が私にとって難しいという話しをこちらでしていますが、図書館に行って、「岩波 キリスト教辞典」をめくってきました。
初めて、閲覧室というところに入ったのですが、手荷物を預け、指定の区切られた机を与えられてゆっくりと調べ物の出来る良いところでした。
「カルケドン公会議」を調べてみましたが、はっきりいってわからなかった。
そして今読んでいる来住 英俊著『「ふしぎなキリスト教」と対話する』の序文にはこのように書かれていました。
えらく荘重な書き方ですが、結局は、「神である」と「人である」の関係はわからないと言っているのです。(P57)
「イエスは神であり、ひとである」というパラドックスは、教会の初期には大問題でしたが、いちおうの決着をみてからは、それほど人間たちを悩ませません。結局はイエスの事情です。
なにか、コレを読んで信者の気持ちがどの当たりにあるのか、なんとなくわかりました。要は「空が青いのはなんで?」「太陽が燃えているのはなんで?」というのは、素朴ですが文系の私にはなかなか正確に応えられる内容のものではありません。でも、現実として空は青く、太陽は燃えている。最近ちょっと燃えてないみたいですけど太陽。
「神であり人である」っていうのは空が青いのと一緒なのかもしれません。
一応、今の自分なりに導き出した答はこうです。
岡本太郎は、芸術家というのは職業ではなくて生き方だと言っていました。空が青いのを自分がどう受け止めるのか、それ自体が芸術家というものだと。
そういう芸術家として、世界に名を残す岡本太郎その人自体が、同時に日本の岡本家の息子さんである。そこに矛盾はないわけです。
大統領だってどこかの子どもだし、誰かのお父さん。これは職業なのでなんともいえませんが。
二元論、二性論という言葉もあり、それも「受肉したキリストには人間と神の2つのペルソナが存在した」と書いてありました。
ひきつづき調べてみたいと思います。
あと、「岩波 キリスト教辞典」をパラパラめくってわかったことが。
この辞典とっても面白いです。私みたいにキリスト教の文化を知らない人には雑学書のようにも読めます。
マンディリオン 聖顔布
キリストが布に顔を押し当てて、その布を人に送ったそうです。送られた人は、キリストのお顔が写っているのをみて癒やされたという逸話があるそうです。
これ、映画「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」にそのシーンがありました。
最後の最後、3:50くらい。
曲は1:05くらいから始まります。ステキな曲なのでお時間のある人はぜひ。
タオルを受け取った少年は敬虔なクリスチャンという設定なので、これは慰めというか、聖書的な愛の表現だったのでしょう。自分をカリスマとしてついてこいって意味だわね。曲もロトの塩の柱の事を言ってたりして、聖書的な曲なんだと思います。
ずっと変なシーンだなーと思ってたんですよ。
聖書を勉強すると分かることがいっぱいあっていいですね。