Day 201 雅歌ロマンチック
2017.5.1 201日めです。
コヘレトの言葉、エフェソの信徒への手紙読み終わりました。
旧約聖書は雅歌に入りました。
コヘレトの言葉も、今まで読んできた聖書とくらべてユニークだったのですが、
雅歌はまた、一味も二味も違いますね。
あまりにロマンチックでドキドキしてしまいました。
読んでいる途中、これは、人が神へ語りかけているのを男女に例えたものなのかと思いましたが、それにしては結構セクシャルな感じを受けました。
いやらしいんじゃなくて、ロマンチックなんですよ。
女性をユリに例えるのは西洋によくあると思うのですが。日本でも女子校の名前になったりね。
それは、この雅歌が由来なのかなと思いました。
Day198 何度も読みたい伝道の書
2017.4.28 198日目です。
伝道の書。壁に貼っておきたいくらいですよ。
非常に魅力的です。
"人の語るすべての事に心をとめてはならない。これはあなたが、自分のしもべのあなたをのろう言葉を聞かないためである。"
伝道の書 7:21
"あなたもまた、しばしば他人をのろったのを自分の心に知っているからである。"
伝道の書 7:22
これは、SNS社会の今でも通用する話ですね。
"物事の理は遠く、また、はなはだ深い。だれがこれを見いだすことができよう。 わたしは、心を転じて、物を知り、事を探り、知恵と道理を求めようとし、また悪の愚かなこと、愚痴の狂気であることを知ろうとした。 わたしは、その心が、わなと網のような女、その手が、かせのような女は、死よりも苦い者であることを見いだした。神を喜ばす者は彼女からのがれる。しかし罪びとは彼女に捕えられる。"
伝道の書 7:24-26
ちょっと話がそれますが、悪=悪女という図式は、筆者が男だからですよね。
刺激的な女性の事を考えると、勉学が手につかなくなるからでしょ。
「その心が、わなと網のような女、その手が、かせのような女」っていうのはどういう人でしょうね。
旦那さんをコントロールしようと監視している奥さんっていうことかな。
旦那が外で飲んでくるのとか、勝手に趣味のもの買ってくるのとか、休日に昼寝しているのを激しくバッシングするタイプの奥様かな。
お小遣い制もそうかもしれない。
これを読んでると、つくづく人の悩みは人間関係に尽きる。と思います。
Day197 魂を揺さぶる吐露 コヘレトの言葉
2017.4.27 197日目です。
コヘレトの言葉、または伝道の書に入りました。
聖書読んでいて、今までになく感動してしまいました。
パウロの演説もステキだったけど、それは元気を貰える感じだった。
コヘレトの言葉は文学的に胸に突き刺さってきました。
何者かになりたいともがく人(みんなそうだと思うけど)にとって、痛いほどに心を動かす文章だと思いました。
毎日出勤して、自分の時間(寿命)と引き換えにお金貰って、それで好きなもの買えるとして、それが幸せなの?それで死んでくだけで、満たされるの?もう100万回考えた話で、まあ、ソロモンと私じゃスケールが違いすぎますけどね。
切実な言葉として迫ってくるように感じました。
最近、ワーク・ライフ・バランスなんて言いますけど、そういうスマートな感じじゃなくて。魂を満たしたいという強い欲求みたいなものを感じました。
話変わりますけど、私、エレファントカシマシが大好きなんです。最近また頑張ってますね。いや。彼らはいつだって限界に挑戦してます。
尊敬してます。私の神様だわね。まじで、神格。声の魂、Spirit of Voiceです。
どの曲も私の宝物なんですが、
その中に「今をかきならせ」という曲があります。
この世は夢か?
俺は昨日まで何と戦い、何を求めて生きてきたのかさえもう
忘れてしまった
どでかい何かを追い求めてる
気がしてただけか?全てまぼろしか?
胸をかきならすのは遠い日の思い出
と歌い、結論としては
行け!!そのままで行け!!今を、今をかきならせ!!
であり、これは、今日私が読んだ、
コヘレトの言葉1章〜4章と同じことを言っていると感じました。
これは、エレカシがすごいと言っているんじゃなくて、
内省的な人間は、必死に生きてふと立ち止まった時、ここにたどり着くのだろうということです。この悩みは人種や時代や地位を超えるんですね。
人間の生きる意味について、キリスト教でも、このように悩むのだと新鮮に思いました。
Day:195 ソロモン≠ダイヤ ソロモン=知恵
2017.4.26 195日めです。
箴言、ローマの信徒への手紙読み終わりました。
"マッサの人ヤケの子アグルの言葉。その人はイテエルに向かって言った、すなわちイテエルと、ウカルとに向かって言った、"
箴言 30:1
"マッサの王レムエルの言葉、すなわちその母が彼に教えたものである。"
箴言 31:1
あれ?箴言ってソロモンの残した格言だけじゃないんですね。
箴言 1:1
この宣言とともに始まるので、てっきり全てソロモンのいい話集なんだと思ってました。
ちょっと調べたのですが(wikipediaでごめんなさい)
これは、律法に関する五書がモーセの名で呼ばれているように、知恵文学(箴言、コヘレトの言葉、雅歌)はソロモンの名で呼ばれるからである。
ということらしいですね。
旧約聖書には、律法一番のモーセと知恵一番のソロモンの二大巨頭が居て、知恵の範囲に置いては、ソロモンと称される。ということなんですね。
聖書を読むまで、ソロモンという名前のイメージは、大きなダイヤの指輪だったんですよね。なんででしょう。ダイヤも指輪も出てきてないですよね。
今まで読んだ範囲だと、たしかにソロモンの時代は繁栄を極めた豊かな時代のような印象をうけます。大規模な宮殿建設があったり。でも、箴言を読む限り、ソロモン自身が贅沢をしていた感じは受けませんよね。
Day190: ついに半分
2017.4.20 190日めです。
ついに全体の半分を読みました。
聖書っておもったよりも分量が多いんですね(笑)
ついに折り返し地点、後半戦も頑張ります。
だんだん、紙の聖書も欲しくなってきました。アプリで読んでると、周りの人にはゲームやってるのか聖書読んでるのか見分けつかないじゃないですか。私はいいことしてるのよってアピールしたくなるんですよね。そう思った時にこの言葉を思い出しました。
"自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。"
マタイによる福音書 6:1
ですよねー。
そんな不純に聖書見せびらかしちゃいけないですよねー。
"むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる。"
箴言 13:24
"野菜を食べて互に愛するのは、肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる。"
箴言 15:17
箴言(”しんげん”って読むんですね。”ぞうごん”かと思ってた)はすごくおもしろい。今でも心にしみてためになる話がいっぱいなんですけど、
上の2つは、私から見たらこれをとんでもなく誤解して変な方向に走ってる人がいるという意味でもとても興味深い部分でした。
一応あの人らは聖書の通りに生活してるつもりなんですね。
またひとつキリスト教文化のバックグラウンドを知りました。
Day188 ただいま
2017.4.18 188日めです。
10日以上も聖書読んでいませんでした。
特に理由もないのですが、精神的に沈殿してた。
もともと調子の良くない時に変にプレッシャーがかかったのねきっと。
元気になってきたので聖書読みを再開できました。
色んなキリスト教の解説本を読んでいるうちに、英語速習指南本とか、筋トレメソッドの本とかを読んでる気分になったんですよね。
要するに、宗教も頭じゃなくって身体で覚える部分があるんだろうと感じたわけです。指南本読んでる時間で英単語暗記したほうがよくない?そういう筋トレ的に学んでいく部分も存在するのだろうなとぼんやり悟ったわけです。
私は祈りを知らないし、本当にやりかたの検討もつかないし。教会で使う聖書を全部読破しようというのは筋トレ的実践に入るのかもしれません。教会に行くのも考えたのですが、家族にそれを匂わせたら無茶苦茶心配されました。
当初の目標、小説や映画に出てくるキリスト教文化の理解 という点では、そういう実践的な部分は知らなくて良いのかな?私は入信するつもりはまだありませんが、キリスト教について真面目に理解したいと思っています。実際に教会に足を運んだり、祈りというものを知るというのは私にとっての高いハードルのように思えます。