アラサー派遣女は聖書読破したぞ日記

2017/12/28聖書通読達成できました!2016/10より始めて1年2ヶ月かかりました。キリスト教信者ではないアラサーです。聖書には真摯に向き合おうとしています。

Day173 空が青いのはなんでだ

2017.4.3 173日めです。

新年度ですね。今年度もよろしくお願いいたします。

 

最近何度か、イエス・キリストの「人であり神である」という事が私にとって難しいという話しをこちらでしていますが、図書館に行って、「岩波 キリスト教辞典」をめくってきました。

初めて、閲覧室というところに入ったのですが、手荷物を預け、指定の区切られた机を与えられてゆっくりと調べ物の出来る良いところでした。

 

「カルケドン公会議」を調べてみましたが、はっきりいってわからなかった。

そして今読んでいる来住 英俊著『「ふしぎなキリスト教」と対話する』の序文にはこのように書かれていました。

 

えらく荘重な書き方ですが、結局は、「神である」と「人である」の関係はわからないと言っているのです。(P57)

 

「イエスは神であり、ひとである」というパラドックスは、教会の初期には大問題でしたが、いちおうの決着をみてからは、それほど人間たちを悩ませません。結局はイエスの事情です。

 

なにか、コレを読んで信者の気持ちがどの当たりにあるのか、なんとなくわかりました。要は「空が青いのはなんで?」「太陽が燃えているのはなんで?」というのは、素朴ですが文系の私にはなかなか正確に応えられる内容のものではありません。でも、現実として空は青く、太陽は燃えている。最近ちょっと燃えてないみたいですけど太陽。

「神であり人である」っていうのは空が青いのと一緒なのかもしれません。

 

一応、今の自分なりに導き出した答はこうです。

岡本太郎は、芸術家というのは職業ではなくて生き方だと言っていました。空が青いのを自分がどう受け止めるのか、それ自体が芸術家というものだと。

そういう芸術家として、世界に名を残す岡本太郎その人自体が、同時に日本の岡本家の息子さんである。そこに矛盾はないわけです。

大統領だってどこかの子どもだし、誰かのお父さん。これは職業なのでなんともいえませんが。

 

二元論、二性論という言葉もあり、それも「受肉したキリストには人間と神の2つのペルソナが存在した」と書いてありました。

ひきつづき調べてみたいと思います。

 

あと、「岩波 キリスト教辞典」をパラパラめくってわかったことが。

この辞典とっても面白いです。私みたいにキリスト教の文化を知らない人には雑学書のようにも読めます。

 

マンディリオン 聖顔布

キリストが布に顔を押し当てて、その布を人に送ったそうです。送られた人は、キリストのお顔が写っているのをみて癒やされたという逸話があるそうです。

 

これ、映画「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」にそのシーンがありました。

youtu.be

最後の最後、3:50くらい。

曲は1:05くらいから始まります。ステキな曲なのでお時間のある人はぜひ。

タオルを受け取った少年は敬虔なクリスチャンという設定なので、これは慰めというか、聖書的な愛の表現だったのでしょう。自分をカリスマとしてついてこいって意味だわね。曲もロトの塩の柱の事を言ってたりして、聖書的な曲なんだと思います。

ずっと変なシーンだなーと思ってたんですよ。

聖書を勉強すると分かることがいっぱいあっていいですね。

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Day170 こんな難しいことを信じているクリスチャンはすごい

 

昨日、キリストをどう解釈しているのか、その基本的なところすら分からないという話しをしました。

 

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 その後、有名な「ふしぎなキリスト教」を読んだのですが、やはりまさにその部分があったので、自分なりに表にしてみました。

 

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「神の子」とはどういう意味かというと、親と分離している。イエスはイエスで完結した存在。独立の人格なわけですよ。けれど、この完結した人間存在が百パーセント、神の意思と合致している。(P169)

 

要するにアニメ「エヴァンゲリオン」の、エヴァとシンジくんの関係の感じですか?

シンジ君の乗る巨大なロボットにみえるものは生物で、生きています。

その中にシンジ君が乗るんだけど、どうやって操縦するかって言うとシンクロする。精神、神経が繋がる。これはできる人とできない人が居て、シンジ君は言うなれば、出来る血筋なんですね。

シンクロ率が高くないと、エヴァは思うように動かない。

エヴァンゲリオンはアニメ見てただけなので、エヴァの解釈が違っているかもしれませんが。

 

 

ちなみに、「ふしぎなキリスト教」は話題になった当時に購入しており、全体の3/4を占めるごんぶとの帯に「新書大正2012第一位!!」と大きく書かれています。買ってすぐ読みましたが分かった気になってその後内容をすっぽり忘れてます。

 そして図書館から来住秀俊著「『ふしぎなキリスト教』と対話する」を借りてきました。うちの方はネットで注文すると近くまで運んできてくれるのです。合わせてこれから読む予定です。

 

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Day169 イエスの立ち位置が分からない

2017.3.30 169日目です。

 

ダ・ヴィンチ・コード」をオーディブルという本の朗読サービスで聞いているのですが、最初に「自分の命を買い戻そうとする」という表現が出てきました。恐喝されてお金を差し出しているシーンではありません。でも今なら分かるよ!あがなうってことでしょ?

15すべて肉なる者のういごであって、主にささげられる者はみな、人でも獣でも、あなたに帰する。ただし、人のういごは必ずあがなわなければならない。また汚れた獣のういごも、あがなわなければならない。 16人のういごは生後一か月で、あがなわなければならない。そのあがない金はあなたの値積りにより、聖所のシケルにしたがって、銀五シケルでなければならない。一シケルは二十ゲラである。(民数記18章)

こういうのが聖書の文脈だって理解できるととてもうれしいです。

 

 旧約聖書の方は、なんとなくどういう考え方がベースになっているのか理解し始めたのですが、新約聖書の部分、キリストがもはや神として理解されているような節があってそのへんがよくまだ飲み込めていません。

 例えば、処女懐胎ですが、キリスト教の信者の方は文字通りに受け取っているのでしょうか。

 文字通りに受け取ってないと、その後、磔にされて人間の罪を洗い流したというロジックにはなりませんよね。

 アブラハムがやっとできた一粒種イサクを、本気で神様のために生贄にしようとした。これが人間界の事だとしたら、これより一段高い神の世界でも、めったに現れない地上に降りた神の息子イエスを、父である神が本気で生贄にしたということでしょう。

 ということは、キリスト教の方々から見ると、イエス・キリストは「現人神」ということでよろしいのか?

 旧約聖書の預言が成就された、今までの預言者とはひと味もふた味も違った人物。それがイエス・キリストだという考えはなんとなくわかりました。その預言の部分を読んだらまた理解できるかもしれませんね。

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Day167 ソロモンの大岡裁き

2017.3.28 167日めです。

全体的な読了率46%です。

もうすぐ半分!

 

10また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。

(テサロニケ人への手紙2 第三章10節)

 

働かざる者食うべからずってパウロの言葉だったの!

おそらく、パウロは信者にタカって生活してるみたいな陰口があったんでしょうね。断固として信徒に生活費を負担してもらっていないというのを書き記しています。

また、

17ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書く。これは、わたしのどの手紙にも書く印である。わたしは、このように書く。 18どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。

(テサロニケ人への手紙2 第三章)

これは、多分、パウロが人気すぎて、偽物のパウロからの手紙がはびこってたということでしょう。かなりセンセーショナルにパウロが流行ってたのが想像できて面白い部分だと思いました。

2千年ちかい時を経て私もパウロのファンですからね。色々勘ぐりたくなる気持ちも分かるし、直筆の手紙が欲しいのもよくわかります。ステキだもの。

 

そして旧約の方も面白かった。

まず、ダビデの息子がソロモンだというのを知りませんでした。

血がつながっているのは予想してましたが、5代くらいは離れてるかなーと漠然と思っていたのですよ。

ダビデ・ソロモン時代は、イスラエルの華の時代のようですね。

 

そして、ソロモンがいかに優れた頭脳の持ち主化というエピソードが「子裁き」

二人の女性が一人の赤ちゃんを自分の子だといって取り合うあれです。

 

24そこで王は「刀を持ってきなさい」と言ったので、刀を王の前に持ってきた。 25王は言った、「生きている子を二つに分けて、半分をこちらに、半分をあちらに与えよ」。 26すると生きている子の母である女は、その子のために心がやけるようになって、王に言った、「ああ、わが主よ、生きている子を彼女に与えてください。決してそれを殺さないでください」。しかしほかのひとりは言った、「それをわたしのものにも、あなたのものにもしないで、分けてください」。 27すると王は答えて言った、「生きている子を初めの女に与えよ。決して殺してはならない。彼女はその母なのだ」。 28イスラエルは皆王が与えた判決を聞いて王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。

(列王記上 3章)

せ、せつだん!!!

日本人なら誰でも知ってる「大岡裁き」と同じエピソードですね。

中国の古書『棠陰比事』にも同じような話があるそうで、この話ははるばるシルクロードの人の口を渡ってきたのですかね。

大岡裁きの他の話しをあまり知らなくても、「子裁き」は結構たくさんの人が知ってると思います。母の真の愛と、本当に面白い話は、国籍、時代を問わないということでしょうか。

 

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Day164 フランス語で聖書が読みたい?なら読めばいいじゃない!

2017.3.25 164日めです。

聖書読むの習慣になりつつあります。

たまに聖書アプリを開いていない日があるとちょっと気持ち悪い感じがする。

 

以前、日本語以外でも聖書を読んでみたいとこのブログに書きましたが、

 

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 じゃあ今からでも読んでみたらいいんだよね。

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↑結果。

マーカーしたのが分からない単語。茶色のマーカーは今日調べた単語。

そして今日は疲れ果ててここまでで終了。

やばい。これいつまで経ったら読み終わるのよ。

いやーでもね。非常に勉強になりましたよ。こうなったら意地で。読む。

 

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Day163 「キリスト教は信じうるか」読了

2017.3.24 163日目です。

達成表よく見たら、詩篇の半分を読んでいました。

全体的な達成率も44%で、半分に近づきつつあります。

がんばるぞ!

 

八木誠一著「キリスト教は信じうるか」読了。

信仰のない私において、神をどう考えたらよいのか、とても腑に落ちる内容でした。

難しいことを言っているようですが、身近な事象から噛み砕いて説明してくれるので、ゆっくり読めば内容の理解は私にもできました。

 

自分の中で、もしも神様というものが居るなら、それは私が見ようとしていないだけだ。となんとなく思っていました。

最初は小学生の時に幽霊の話になったのがきっかけです。

きっと幽霊は「姿を見せる」のではなくて、「普段からその辺にいるのだけど、私が見ようとしないから見えない」のだろうと、突然ひらめいたのです。

ノートを取るのに集中していると、同じ机の上にある消しゴムにまったく気づかない(みえないと感じている)のと同じように、集中力のピントが合っていないから幽霊は普段見えない。

 

この考えはそれ以降ずっと私の中にあって、自分の把握している現実とは「自分のフィルターが濾し取っている虚構」だという感覚がありました。

そこで神様の話に戻るのですが、「神様は語りかけている」とキリスト者の方々はおっしゃいます。多分それは本当で、でも私にそれをキャッチする姿勢がないから声が一方通行になって私に届かない。私の把握している現実はその声をキャッチしない。

 

電波塔が常にラジオの電波を発信していても、ラジオを持っていないと音声は聞けません。ラジオを持っていても、周波数が合っていないとやはり音声は聞けません。きっとそういうことなんだろうと思いました。

 

目に見えず触れないものでも存在はしますね。電波だって空気だってそうなんだから。だから目に見えないから、声が聞こえたことがないから、幽霊や神様が居ないということにはならないと思います。

 

そういった考えが私の中で不定形のものとして渦巻いていて、そのうえでこの本を読んだことで、キリスト教への理解が少し進んだように思いました。

 

仏教の「空」というのは、物事すべてを司る何か、今はまだ解明されていない全てを解明する鍵「X」だと聞いたことがあります。だとすると、「空」はキリスト教の神にかなり近いのではないか。と思いました。

 

文中の「ロゴスとは無である」という説明も非常に私にとってわかりやすいものでした。ちょっと前に書いた、天地創造の無は「全てのものが存在する無」だという私の感覚と通じるように思いました。

 

この考え方はキリスト教信者のスタンダートかどうかはわかりません。でも、キリスト教文化の外で約30年生きてきた私にとって、私の理解の範囲内で神を説明してくれる書物でした。

 

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Day161 : 民の数を数えたダビデ

2017.3.22 161日めです。

サムエル記下読了しました。

 

聖書の通読って、大きな一つの目標ですが、

聖書は色々な短いタイトルが沢山集まってできているので、

1冊読み終わるごとに細かく達成感が得られていいですね。

これが、私が聖書通読を続けられる理由かもしれません。

まだ半分も読んでいないので読破できるかはまだわかりませんが。。。

 

サムエル記の最後、ダビデはいきなり民の数を数えるように部下に命令し、ヨアブ(最高の側近だと思います)が忠言したのもむなしく、「民数」が決行され、そして神から罰が与えられます。

 

 んー?なんかその話前に聞いたことある!

これだ!ババーン!

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100日前に、コメント欄で人口調査について教えていただいていました。

なるほど。100日の時間を経て、コメントでご説明頂いた内容がより分かるような気がします。

 

でもダビデは我に返った時、すぐに神様に自分の間違いを告白してますね。

10しかしダビデは民を数えた後、心に責められた。そこでダビデは主に言った、「わたしはこれをおこなって大きな罪を犯しました。しかし主よ、今どうぞしもべの罪を取り去ってください。わたしはひじょうに愚かなことをいたしました」。

 

非常にワンマンで、厳格な上司に、カッとなってミスをしたと報告する。

想像するだけで胃が鉛のようになります。

その上司が、自分の命、世界中の全てを掌の中に握っているとしたら。ウワー。正直にこうやって謝れるのってすごいと思いました。

謝らなかったらもっとひどいことになるだろうしな。いやー。考えただけで怖い。

 

恐ろしい人にほど、ミスの報告は迅速にすべし。ですね。

 

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