アラサー派遣女の聖書読破なるか日記

とくにキリスト教信者ではないアラサー派遣OLです。たくさん読めたら誰かほめてくれ。

Day148: キリスト教は言葉、文字の宗教?

2017.3.9 148日めです。

書いてたら熱くなっちゃって、見づらいので見出しをつけました。

長いのでご容赦ください。

 

「マタイによる福音書」への違和感

最近読書箇所になっている「マタイによる福音書

これ、私にとって、この本の形式は変な感じがしてたんです。

でも最近やっと少し理解ができたので書き残しておこうと思います。

 

マタイ福音書ではまず最初に、キリストの血筋が良いことの証明。

 

以下一章より

1アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。

 

そして、旧約聖書を引き合いに出しての証明が続きます。

 

22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、 23「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。 

 

私は、キリストが律法学者を批判する描写があることから、ユダヤ教へのアンチとしてキリスト教が確立していったのかなーと思っていたのです。なので、キリストがユダヤ教の聖者と血のつながりがあるというのも、旧約聖書を引用するというのも非常に違和感がありました。

 

預言の実現者としてのイエス?!

素養のない私が、ただ聖書を通読しているだけだとわからないことも多かろうよ。

キリストだって良い土壌に種を撒かないとあかんって言ってる。

3イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 4まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 5ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 6日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 7ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 8ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 9耳のある者は聞くがよい」。(マタイ福音書13章)

 

よってベース作りのため、前回の内村鑑三著「ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか」に続いて村松剛著 「教養としてのキリスト教」を読んでいます。

そして私にとって衝撃の内容がこちら。

もっとも旧約の予言のつづら織りは、「マタイによる福音書」にかぎらず、福音書ぜんたいの、いや「新約聖書」ぜんたいの性格でしょう。イエスは旧約の預言の実現者として、この世に現れた。そういうイエスをえがくことが、「新約聖書」の目的だったのです。(「教養としてのキリスト教p76)

なんだって!!

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いや。これは目からウロコ(パウロリスペクト)だわ。

本当に知らなかったの。これキリスト者の方々の常識なのよね?

確かに、

22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、(マタイ福音書1章)

ばっちりそう書いてあるじゃんね。

 

キリスト教は言葉、文字の宗教か?

コレ読んで思ったんですよ。

キリスト教っていうのは文字、言葉の宗教なんじゃないか。

以前の預言(言葉)の成就というところに重きを置いているというのは。

1はじめに神は天と地とを創造された。 2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。(創世記1章)

ここから始まる、「神の言葉が成就する」物語なのではないか。 

「光あれ」→光があった。これは言葉の成就ですよね。

 

詩篇もコンスタントに予定表どおりに読んでるのですが、ただ文字を追っているというだけでまったく理解はしていないのですが、言葉が成就するという風に考えると何か少しわかった気がします。

なんでいちいち「◯◯してください!」って神様に言うんだろうって思ってたんですよ。

 

よく考えたらバベルの塔に始まり、弟子の頭の上に火の玉みたいのが現れて、それぞれ別の言葉で神様について語りだしたり、言葉へのこだわりがみられる物語は多いですね。

日本の昔話では、鬼も、ネズミも、下手したら臼も日本語話しますからね。そういえば聖書にもいっぱい動物出てくるけど喋らないね!!変なの!一回だけロバが喋ってたけどあれは神様がロバで腹話術したみたいなもので例外だしね。

なんとなくそういう感覚で生きてると、キリスト教の言葉ありきのところについて、意識しないと理解できない気がします。私はそう。

 

「西洋」と「日本人」のものの考え方と聖書

日本人が「空気を読む」社会であり、

グローバルな社会が「はっきりものをいう」社会であるとするならば、

原因の一端はこの辺の気がする。

飛躍し過ぎかな。いや。結構いい線言ってると思います。

 

色々調べていたら面白そうな論文を見つけました。

まだいまの私には分からない内容ですが、将来の私のためにとっておきます。

 

「言語の神話と神話の言語 ー「アダムの言語」をめぐって」 久米博

http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/2606/1/KJ00000172707.pdf

アダムは何語を喋っていたのか?

 

日本人だったら悩むことないよね。イザナギもアマテラスもかぐや姫も日本語喋ってたに決まってるよね。

 

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