ヨブ記 おわり
ヨブ記読み終わりました。ちょっと衝撃的でした。
最初の中でも取り上げられる事の多い箇所だと思います。わたしも読む前から大体のあらすじを知っていました。でも、実際読んでみて、色々な方面からびっくりしました。
まず、神様とヨブの関係。神様のことを「父」と形容することがあると思います。まさに、ヨブ記の神はお父さんのようでした。
ヨブは成績優秀な子供だけど病弱だったり、親に愛されてる実感のない子供。親の言いつけ通りに勉強も頑張ってるし、習い事でも賞を取ってるのに、なお愛されてる実感がない。
そこで父親が言うことが「じゃあ、この家を建てたのは誰だ?誰のおかげで飯が食えると思ってるのか?学費や習い事のお金を工面してるのは誰だ。お前は自分の金で生活してると思ってるのか?」
そういう風に読めました。
じゃあ何でそんなことを言われてるかというと、やっぱりヨブは父に愛されてないのかな。というのがわたしの感想です。愛してたら、実験台に使おうとも思わないはずだし。辛い思いをさせてなお自分についてくるか試すなんて、愛する子供にはそんなことしないんじゃないかな。
仏教の教えはまるで数学のようですが、聖書は人と人とのあり方のようにもみえます。神様を父と呼ぶのは、信仰している人が、神に人格を見ているからではないでしょうか。なんとなく気にくわないということだって、神様にはあり得るのかもしれません。
また、ヨブに強い共感を得る人もいると思います。自分は誠実にやってるつもりでも、急に事故にあって怪我をしたり、不可抗力でうまくいかなかったり。そんな時、神様はちゃんと見ていて下さるのか思わず不安になることも、人間であれば自然な気持ちのような気がします。
ヨブの友達にも感じることがあります。私は、人の言葉を鵜呑みにして自慢げに語ったとき、それが身についていないのを見破られてドキッとしたことがあります。正しいことをただ言うだけが、正しいとも限らないのでしょう。身に染みてない人の言葉はあまりにも空虚です。
センセーショナルというか、どう生きるのか。信仰のある方であれば、信仰していくとは?という話になるかと思います。突きつけてくる話だと思いました。