Day149:映画「ジェームス・ブラウン ~最高の魂(ソウル)を持つ男~」
2017.3.10 149日めです。
アマゾンプライム会員になっているので、沢山の図書や映画を読み放題見放題という恩恵に預かっています。
以前読んだ内村鑑三も、アマゾンプライムに載っていたものです。
そのプライムで「ジェームス・ブラウン ~最高の魂(ソウル)を持つ男~」という映画を見ました。その名の通りジェームス・ブラウンの一生を描いた映画です。
感動しました。感動のあまり今日はこの映画の話しかしません。
特に前半、キリスト教への熱い信仰心が繰り返し語られるのですが、こういうシーンを見た時、あー聖書読んでてよかった役に立ったーって思いますね。そういうのを理解したくて聖書読み始めたので。
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動機が不純ですね。でも私なりに聖書は丁寧に扱おうとしてます。
印象的な「宗教的」シーンがあったので幾つか書き残しておきます。
ゴスペルをきっかけにして音楽の世界に入っていくJB。
この白い服を来た信者のあつまる教会はちょっとカルトっぽいですよねー。
音楽を鳴らし、司祭は叫び、信者はひたすら踊る。そうするとトランスして痙攣しだしたりする。おそらく、アフリカンの民族的宗教とまざりあったキリスト教信仰があったんだろうと勝手に思っています。
司祭の爪がながーく伸びてるんだけど、そのへんもシャーマンを思わせるような降霊術の趣のある教会で興味深いです。
このHPで、バプテスト派宣教とアフリカ魔術信仰がまざりあってうんぬんと説明がされてますが、このへんの感じがします。
これも、聖書を読んでいないと「何いってんの?守っていただかなくて結構だわ!」とこじらせた気持ちが爆発していたところでした。
3しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。
(コリント人への手紙1 11章)
はじめてリーゼントにしたときのセリフ。
ゴスペルシンガーらしくないと言われてJBはこの切り返し。
そして彼らのバンド名はJBの一存で「FAMOUS FLAMES」になります。
この「炎」っていうのも、神様のパワーを表すキリスト教的なシンボルなんですよね。聖書読んでなかったら、なんか熱いソウルと若者の情熱的な意味で炎って言ってるのかと思ってただろうな。
2:1五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、 2:2突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 2:3また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。 2:4すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
(使徒行伝2章)
音楽の先輩であり、恩人でもあるボビー・バードを、その才能で難なく追い抜きあっという間に雇う側になるJB。少年院から引き上げ、ゴスペルという道を整えてJBに与えたボビー・バードとJBの関係は、ヨハネとキリストのようでもあり、聖書に何度も描かれる、一番末っ子が全ての長になっていく話のようにも見えます。
一番からだが小さかったが、運動能力にも長け、音楽の才能にも恵まれていたという点ではダビデをイメージしてるのかもしれない。ダビデとヨナタンか?
最後の方に六芒星のついたアイテムが出てくるのですが、映画の登場人物でユダヤを自認しているのは一人だけ。そのシーンで、彼がどうなったのかが暗示され、私はそれを理解することもできました。
たどたどしいながら、西洋文化にみる聖書の影響が理解できるようになってきた気がするのよ!
しかし、ミュージシャンの自伝映画にも潜んでいる聖書。西洋文化それすなわち聖書。
ライブシーンも沢山挿入され、またジェームス・ブラウンの右腕ボビーバードも非常に魅力的な人物に描かれており、とっても、とってもいい映画でした。
Day148: キリスト教は言葉、文字の宗教?
2017.3.9 148日めです。
書いてたら熱くなっちゃって、見づらいので見出しをつけました。
長いのでご容赦ください。
「マタイによる福音書」への違和感
最近読書箇所になっている「マタイによる福音書」
これ、私にとって、この本の形式は変な感じがしてたんです。
でも最近やっと少し理解ができたので書き残しておこうと思います。
マタイ福音書ではまず最初に、キリストの血筋が良いことの証明。
以下一章より
そして、旧約聖書を引き合いに出しての証明が続きます。
22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、 23「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
私は、キリストが律法学者を批判する描写があることから、ユダヤ教へのアンチとしてキリスト教が確立していったのかなーと思っていたのです。なので、キリストがユダヤ教の聖者と血のつながりがあるというのも、旧約聖書を引用するというのも非常に違和感がありました。
預言の実現者としてのイエス?!
素養のない私が、ただ聖書を通読しているだけだとわからないことも多かろうよ。
キリストだって良い土壌に種を撒かないとあかんって言ってる。
3イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 4まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 5ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 6日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 7ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 8ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 9耳のある者は聞くがよい」。(マタイ福音書13章)
よってベース作りのため、前回の内村鑑三著「ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか」に続いて村松剛著 「教養としてのキリスト教」を読んでいます。
そして私にとって衝撃の内容がこちら。
もっとも旧約の予言のつづら織りは、「マタイによる福音書」にかぎらず、福音書ぜんたいの、いや「新約聖書」ぜんたいの性格でしょう。イエスは旧約の預言の実現者として、この世に現れた。そういうイエスをえがくことが、「新約聖書」の目的だったのです。(「教養としてのキリスト教」p76)
なんだって!!
いや。これは目からウロコ(パウロリスペクト)だわ。
本当に知らなかったの。これキリスト者の方々の常識なのよね?
確かに、
22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、(マタイ福音書1章)
ばっちりそう書いてあるじゃんね。
キリスト教は言葉、文字の宗教か?
コレ読んで思ったんですよ。
キリスト教っていうのは文字、言葉の宗教なんじゃないか。
以前の預言(言葉)の成就というところに重きを置いているというのは。
1はじめに神は天と地とを創造された。 2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。(創世記1章)
ここから始まる、「神の言葉が成就する」物語なのではないか。
「光あれ」→光があった。これは言葉の成就ですよね。
詩篇もコンスタントに予定表どおりに読んでるのですが、ただ文字を追っているというだけでまったく理解はしていないのですが、言葉が成就するという風に考えると何か少しわかった気がします。
なんでいちいち「◯◯してください!」って神様に言うんだろうって思ってたんですよ。
よく考えたらバベルの塔に始まり、弟子の頭の上に火の玉みたいのが現れて、それぞれ別の言葉で神様について語りだしたり、言葉へのこだわりがみられる物語は多いですね。
日本の昔話では、鬼も、ネズミも、下手したら臼も日本語話しますからね。そういえば聖書にもいっぱい動物出てくるけど喋らないね!!変なの!一回だけロバが喋ってたけどあれは神様がロバで腹話術したみたいなもので例外だしね。
なんとなくそういう感覚で生きてると、キリスト教の言葉ありきのところについて、意識しないと理解できない気がします。私はそう。
「西洋」と「日本人」のものの考え方と聖書
日本人が「空気を読む」社会であり、
グローバルな社会が「はっきりものをいう」社会であるとするならば、
原因の一端はこの辺の気がする。
飛躍し過ぎかな。いや。結構いい線言ってると思います。
色々調べていたら面白そうな論文を見つけました。
まだいまの私には分からない内容ですが、将来の私のためにとっておきます。
「言語の神話と神話の言語 ー「アダムの言語」をめぐって」 久米博
http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/2606/1/KJ00000172707.pdf
アダムは何語を喋っていたのか?
日本人だったら悩むことないよね。イザナギもアマテラスもかぐや姫も日本語喋ってたに決まってるよね。
Day 147 :歴代誌上1章謎の人「セイル」はエサウの土地の居候
2017.3.2017.3.8 147日めです。
以前、歴代誌上一章を家系図にしてみたのですが、
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途切れてる(ように見える)ところがあるんですよね。
それがここ
38セイルの子らはロタン、ショバル、ヂベオン、アナ、デション、エゼル、デシャン。
歴代誌上1章では、この38節にポツンと言及されているだけの謎の人物。
聖書全文で検索してみました。
こういうところは、本当にパソコンって便利です。紙だと大変。
なんと、セイルは人物ではなく地名だったみたいです。創世記の時代からある土地のようです。ひっかけ問題!!
創世記36章
ここ怪しいね。
20この地の住民ホリびとセイルの子らは次のとおりである。すなわちロタン、ショバル、ヂベオン、アナ、 21デション、エゼル、デシャン。これらはセイルの子ホリびとから出た族長で、エドムの地におった。
そうそうここです!こうなるとやっぱり人名だったのか?
この色が濃くなってる「セイル」が問題の人物。
エドムの地というのは
イサクの子エサウ。イスラエルに長子の権利を取られたエサウ(家系図セイルからみて左上)の土地ということ。
セイルっていうのは山とその周辺の名前のような気がするんだがー。
セイルはホリびとだということで、ホリびとで聖書全文検索。
うーん。他の部分ではまったく言及されてないのか?突然出てきた人なの?
いや納得いかないよね。こうなったら意地だよね。
創世記36章(KJV)
These are the sons of Seir the Horite, who inhabited the land; Lotan, and Shobal, and Zibeon, and Anah,
ホリびと=Horite
Horiteで聖書全文検索!!
あ!36章以外に14章6節にも書いてあった!でかした全文検索!
6and the Horites in their mount Se´ir, unto El–pa´ran, which is by the wilderness.
6セイルの山地でホリびとを撃って、荒野のほとりにあるエル・パランに及んだ。
セイルの山に住んでいるホリびと。おそらく同一部族と見て良いでしょう。でも撃たれてるね。なんぞ?
5十四年目にケダラオメルは彼と連合した王たちと共にきて、アシタロテ・カルナイムでレパイムびとを、ハムでズジびとを、シャベ・キリアタイムでエミびとを撃ち、 6セイルの山地でホリびとを撃って、荒野のほとりにあるエル・パランに及んだ。
あれー…ソドムとゴモラを撃つ準備運動としてしっかり撃たれてしまってますね。
たとえばセイルの子ロタンで検索してみても
いままで調べた以上の事はでてきませんね。
コレ以上の捜索は難しそうです。
ひとまず結論!
セイルはエサウの所の居候。同じ土地に住むものとして記録された。すぐに連合した王たちに撃たれる。
キリストへ通じる本流は、アブラハム→イサク→イスラエルの方。セイルの子孫はこの本流とは関係なさそうです。イスラエルの子孫の系譜は歴代誌上2章から書かれています。
チョイ役に振り回されたという結論になりましたが、歴代誌上には、アダムとイブから連なるイスラエルの民以外にも、そこに住んでいた人たちが記録されていることがわかりました。
あー頑張った!
Day 146: ごちゃごちゃ人間模様をページ内検索で解決
2017.3.7 146日めです。
サムエル記は下巻へ。
えーとサウルが死んで、(自らやりの上に覆いかぶさるというかっこいいやつ)
でも、それだけでは戦争は終わらず、残された者たちの雪辱戦へ。
故サウル軍
リーダー:ネルの子アブネル、
サウルの子イシボセテ
(二年間王となるが民衆がダビデに従い失敗。親から受け継いだのだから王位は順当といえば順当。)
ダビデ軍
ゼルヤ三兄弟:ヨアブ、アビシャイ、アサヘル
それぞれの思惑が入り乱れ、戦国活劇の様相です。
こういうので困るのが「名前が覚えられない」というなんとも情けない性質。
いや、私の脳みそがポンコツなだけなのですが、三国志とかも登場人物が多すぎてまったくついていけないんですよね。
そんな私の聖書の読み方はこれです。
聖書内で名前を検索。
ページ内検索窓を control +F で呼び出し。
あ・ぶ・ね・る と打ち込んで。ターン!
サムエル記下2章には17箇所「アブネル」と書いてあるんですね。
これをやると、パソコン側で自動的に「アブネル」に色をつけて表示してくれます。
なるほどアブネルはダビデの敵、故サウル側の人間。ということを確認しながら読み進められます。
この後半、アブネルとおいかけっこしてるアサヘルってだれだっけ?
こういうときも検索。タターン!
ゼルヤの子。なるほど。そういえばゼルヤの子っていうのはダビデ側の人たちだったな。
なるほど。これはダビデ軍vs故サウル軍の両精鋭が接触して緊迫した場面なんだなー。とやっと理解できるわけです。お粗末な脳みそですね。
クリスチャンホームの人はきっと、子供の頃から「桃太郎」「かぐやひめ」「ダビデ王」「一寸法師」「アブラハム」の勢いでそれぞれの名前とエピソードを物語として口伝され、素養ができてるんだと思うのですが、私はそういうのさっぱりなので、いちいちこうやって名前で検索して、その人物の履歴を確認しながらよんでいます。
Day144:サウルの死
2017.3.6 144日めです。
どうやら、450章読んだようです。もうすぐ500章。頑張ります。
進捗を表にしておくと、細かく達成感を感じられるのでよいですね。
今日はサムエル記30章までと歴代誌上10章。詩篇。
サムエル記上という名称なのに、すでにサムエルがお亡くなりになってしまいました。
サムエル記は下巻もありますが、大丈夫なのでしょうか。
もはや「ダビデ記」と言っていい状態ですね。
このサムエル記と歴代誌上の時代がちょうどリンクしまして、どちらもサムエルの死について書かれています。
13こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死んだ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、 14主に問うことをしなかった。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた。
この辺が、以前私がごねごね言ってたあたりとリンクすると思うんです。
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占いがなぜいけないのか。
占いに問うことをして、主に問うことをしない。という行為だから。
そういうことですかね。
私は、占いは運命を見るもの→運命は神様が決めるもの=占いは神様に問うもの
だと感じるのですが。
いや違うか。その人に運命について教えるか教えないかは主が判断すること。
占いで何かしらの答を無理矢理引き出してはいけないということでしょうか。
主に問うことをしない行為は、主な死因とされるほど重大な禁忌なのでしょう。
Day142:歴代誌上1章を図にしてみた
2017.2.3 142日目です。
バタバタしていてここにご報告できない日が続いていましたが、
自力で聖書読みを継続しておりました!ジャジャーン!
もうここまでくれば通読待ったなしかしら。
いやいや。油断は禁物ですね。
マタイによる福音書10章に気になる記述が
16わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
「へびのように賢く」
イブをそそのかして知恵の実を食べさせた時から、蛇は嫌われ者だと思っていたのですが、
創世記3章
1さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
「狡猾」っていうのは、ずるがしこいってことですよね。
頭がいいということではありますね。
蛇を踏む=悪を打つ のような表現もあると思います。
ここはどういう意味で蛇の例えを使ったんでしょうね。
知恵によってサバイブしてほしいという感じでしょうか。
また、出来心で歴代誌上1章を家系図に起こしてみたのですが、
果てしなく大変だった。あー。
でも気付いたことがいくつか
・38節「セイル」は、1節〜37節に出てくる人物の誰ともつながっていない(言及されていない)
・43章以降の「エドムの地を治めた王たち」もそれ以前の家系図との繋がりが明示されていない
アダムとイブからキリストまでは1本線でつながってるんだと思ってました。
あーまじ大変だった。
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この細かさで頑張りを察してくれ!
間違えてるかもしれないけど、自分でやってみたのが偉くない?
Day138:BL疑惑
2017.2.27 138日目です。
9:2キシにはサウルという名の子があった。若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高かった。
16:12そこで人をやって彼(ダビデ)をつれてきた。彼(ダビデ)は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。
16:21ダビデはサウルのもとにきて、彼に仕えた。サウルはひじょうにこれを愛して、その武器を執る者とした。 16:22またサウルは人をつかわしてエッサイに言った、「ダビデをわたしに仕えさせてください。彼はわたしの心にかないました」。 16:23神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた。
アーハーン?
14:49さて、サウルのむすこたちはヨナタン、エスイ、およびマルキシュアである。ふたりの娘の名は次のとおりである。すなわち姉の名はメラブ、妹の名はミカルである。 14:50サウルの妻の名はアヒノアムといい、アヒマアズの娘である。また軍の長の名はアブネルといい、サウルのおじネルの子である。
18:1ダビデがサウルに語り終えた時、ヨナタンの心はダビデの心に結びつき、ヨナタンは自分の命のようにダビデを愛した。 18:2この日、サウルはダビデを召しかかえて、父の家に帰らせなかった。 18:3ヨナタンとダビデとは契約を結んだ。ヨナタンが自分の命のようにダビデを愛したからである。 18:4ヨナタンは自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えた。また、そのいくさ衣、およびつるぎも弓も帯も、そのようにした。
ホワッツ!!!
あ、アーハーン!!!
これは、一部の女性が好むというBL(ボーイズラブ)ではないか?
麗しい男子ダビデが、親子の権力者の両方から言い寄られている図ではないか?
ヨナタンお父さんのお稚児さんに横恋慕しちゃ駄目だぞ★
いや、ほんとうにそう読めるんですが、これは男色があったと解釈してよいのでしょうか。
そう思うと、ダビデ像の筋肉隆々な感じもあやしく見えてきた。